日本各地に残る城下町の瓦の殆どはいぶし瓦ですが、そのいぶし瓦が日本に登場するのは、安土・桃山時代。中国は明国の一観という人物がもたらしたと言われています。一観は織田信長の命により、初めて天守閣を持った平城安土城の粘土瓦を製造していますが、この時に粘土瓦を燻す製造法と、木型と粘土の間に雲母粉をふって脱型しやすくする工夫を伝えたようです。