出雲大社はいわゆる門前町として中世から急速に発展した町。江戸時代に入ると諸国からの大社詣でにぎわい、特に富くじ興業は、江戸城大奥でも人気があったとされます。
また出雲大社背景の“八雲山”の北側の“鷺浦”は北前船寄港地として栄え、大社町内には松江藩御用の大商人や旅館などが軒先を競い合ったと伝えられて います。
現在も往時の面影を残す古い町並みや商家が点在し、古き歴史文化の香りを伝えています。
大きな神社を擁する地域には、神社に仕える神官が居住する社家通りがあったものである。現在は京都の賀茂(上賀茂神社)、奈良の高畑(春日大社)にわずかに残っているが、ここ出雲大社にも見事に残されている。“真名井の社家通り”である。
出雲の国造(こくそう)“北島家”の長い土塀と旧社家群に挟まれる細い道筋は、近代以前の参拝道(東、松江方面からの)でもある。毎年6月には、大国主大神が衣替えをされる“涼殿祭真菰(まこも)の神事”の舞台となる。
この道筋に在る“真名井の清水”は、古代から湧き出る清水で、出雲大社の神事にも使われている。
出雲大社境内の西側に出雲の国造(こくそう)“千家家”が在る。吉野川の清流、その清流から引き込まれた池と建物が創る情景はまさに“神域”というにふさわしい。
この周辺には、神官の学校や祖先の霊を祀る“租霊社”など神にまつわる建物が集積しているほか、土産店やいずも蕎麦のお店も多く、商空間としても懐かしいものがある。
今から約100年前、当時の国鉄大社線開通とともに誕生した参拝道。堀川に建つ大鳥居をくぐり、北に向かって勢溜り広場までの道筋を神門通りという。
明治以降近代の参拝道として両側には旅館、土産店、出雲そばなどの食事処が軒を競い、多くの参拝客が歩いた道である。
旧大社線の廃止、車社会の到来とともに、参拝客の流れが変わり、客足も遠のいていたが、最近賑やかさが復活してきている。
“神門通りよみがえりの活動”によって土産店や出雲ぜんざいなど個性的なお店が相次いで出店。“ご縁横丁”なる長屋式の土産店も共同出店してきた。
若い旅人が行き交う姿が古風な街並みに新しい息吹を与えているようである。
神門通り正門前に新しく誕生した観光スポット。地元の特産品や旨いもの処や観光情報のインフォメーション機能を持つ土産横丁です。
築後400年を経過してなお住居として活用されている“藤間家”。
江戸時代には松江藩御用を勤める廻船問屋として繁栄をきわめ、松江藩主の本陣や朝廷勅使の御本営にもなった旧家である。
建物の結構、庭、居住空間のしつらえ、おもてなしの作法、四季折々、祭事の折々に、出雲文化の在り様(ありよう)を今に伝える格式が伝えられている。
建物は島根県文化財指定を受けている。
出雲大社参拝の道は時代とともに移り変わっている。神門通りが開通するまで(今から約100年前)、西からのメイン参拝道は“大字杵築東・西の町内”を抜けるものであった。
現在その道には、300年余り続く旧家があり、長い白壁土蔵が独特の景観を見せている。
江戸時代造り酒屋だったこの旧家、今では土蔵を活かした“手銭記念館”として開放され、往時の暮らし文化を示す展示品などが開示されている。
大社駅の開業は明治45年のことで、現存する駅舎は大正13年に建て替えられ
たもの。全国でも珍しい神社様式(大社造り)を取り入れた格調ある木造瓦葺きの
建造物である。
平成2年のJR大社線の廃止とともに、駅舎としての役割を終 えたが、建物は保存されており、誰でも見学できる。
「平成8年国の登録有形文化財、平成21年経済産業省の近代化産業遺産に登録」
出雲大社西側の道を山に向かって車で15分、日本海に接する“鷺浦”という小
さな集落がある。中世から近世にかけ出雲大社領七浦に数えられた港湾集落で
ある。江戸時代に入ると良好な風待ち湾として北前船が出入りするようになり、
瀬戸内の塩や出雲領内の銅、木綿などの商いで大いに栄えた歴史を持つ。
この町の特徴は、家々の屋根が石州の赤瓦で葺かれていること。近世の港湾集 落の面影を残す町としておそらく日本でも有数の景観であろう。漁業だけでな く廻船業で栄えた家屋が数多く残り、今でも暮らしの舞台となっている。
瀬戸内の塩飽諸島の塩を一手に商った“塩飽屋”の他、多くの家が屋号を持ち、それらが軒先を競うように連なっている風景は見事の一言に尽きる。
現在、この町並みを生かした活性化事業が進められており、かつての塩の製法通りに作られた“藻塩”がひそかな人気を呼んでいる。
出雲大社を訪れた際には、少しばかり足を伸ばして来町していただきたい。